有機ゲルマニウムの生みの親、浅井一彦博士

浅井一彦博士について

有機ゲルマニウムの生みの親である、浅井一彦博士の略歴

浅井一彦博士浅井一彦 博士
明治41年3月 – 昭和57年10月,享年75歳
世界初となる水溶性有機ゲルマニウムの合成に成功。

弊社では浅井博士ご指導のもと、昭和45年 当時としては画期的であったゲルマニウム温浴センター(東京都目黒区)の開設、ゲルマニウム関連機器販売・温浴施設コンサルティングのルルドグループなど浅井博士の助言とアドバイスのもと、有機ゲルマニウムの効能と素晴らしさをひとりでも多くの皆様に感じていただこうと、活動してまいりました。

明治41年3月 中国の旧満州・大連で、明治41年3月生誕。10歳の時に東京に移る。
昭和7年 東京大学(旧東京帝国大学)法学部卒業。
昭和9年 大倉組の商事部に入社。ドイツ駐在員として、ベルリンに派遣される。
昭和11年 ドイツの知人に炭鉱に連れて行かれ、炭鉱で働く人々の様子に感動を覚え、石炭研究の道を突き進むことになる。
昭和12年 石炭研究の追求から、ベルリンのシャロッテンブルグ工科大学に入学。
昭和16年 ヒットラーのソ連侵略を開始される。連合軍による空襲が激化したため、妻子、義母をベルリンから疎開させ、一人ベルリンに残り学業を継続。
昭和18年 シャロッテンブルグ工科大学鉱山冶金科を修業、エッセン公立石炭研究所に入所する。
昭和20年 ベリリンが陥落し、ドイツ降伏。一時、ソ連軍に捕らわれるもモスクワからシベリア、満州を経て、日本に帰国し財団法人石炭綜合研究所創立。
昭和24年 石炭中のゲルマニウムの研究を開始。
昭和27年 東京ガス大森工場の回収設備において、石炭ガス液より二酸化ゲルマニウムの回収に成功。
昭和31年 二酸化ゲルマニウム果糖溶液のX線による放射線障害に対する治療効果が、動物実験により確認される。この時に、二酸化ゲルマニウムが骨髄、脾臓、腎臓などに蓄積されることがわかり、水溶性有機ゲルマニウムの研究を開始。
昭和32年 各種の技術開発の業績に対し、紫綬褒章を授与される。
昭和37年 京大より工学博士の学位を受ける。
昭和42年 世界初、水溶性有機ゲルマニウム(アサイゲルマニウム)の合成に成功した事を日本化学会に発表。
昭和43年 浅井ゲルマニウム研究所設立。
昭和50年 ニューヨーク・アカデミー・オブ・サイエンスの正会員に推薦さる。フランスで開かれた世界自然医療学会に招かれ、有機ゲルマニウムに関する講演を行い、反響を呼ぶ。
昭和54年 第1回ゲルマニウム研究会開催。全国の大学、研究機関の研究者とともに、本格的な有機ゲルマニウムの生物活性研究が開始される。
昭和57年 10月、永眠。享年75。
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